本音がわかる?

《仲良くしようよ》



あるSNSで大好きな作家さんの作品投稿を見て
自然にふと口をついた感想。
「自由でいいなあ」。


この作家さんは絵描きさんで
わたしは一面識もないのだけれど
たくさんの色を使った大胆な絵を
すごいスピードでたくさん描いていらっしゃるみたいなのです。


そこから思ったのですよ。
わたしの反応「自由でいいなあ」って何さって。
その方のあり方や作品を自由でいいなあと思うなら
自分もすればいいじゃない。
そう思うってことは
自分はしていないって思ってるの?
自由にやっていないのなら
何がわたしを不自由にさせているの?


ほめられたい?
上手な作品をつくりたい?
売れたい?


知らないうちに
自分で自分をなにかにはめ込んでたのかなあ。


そうなら鎖を外そうよ。
自由でいてはいけないなんてないんだから。
不自由さから解き放たれようよ。
そうできるのは自分だけだから。
自由になろうよ。
自由でいようよ。


ふとしたつぶやきに自分の隠された本音を見つけたのでした。


✳︎上の画像の切り絵は
狼が鳥をつかまえようとしてるんじゃなくて
「仲良くしようよ〜」と言ってるんです。


100点満点のわたし

切り絵《Going my way!》



なにかのテレビ番組を見ていて
30代ぐらいのゲスト(女性・歌手)がこう聞かれていました。


「あなたは今日の自分に100点をつけられますか?」


その女性はしばらく口ごもって
「……いえ、やっぱり日本人だし。
無理です……。
100点なんておこがましすぎる。
こんな欠点だらけの自分に
絶対に100点なんてつけられない……」
みたいなことを言っていました。


なぜ〜〜?
……とすごく強く思ったのです、そのとき。
わたしは今の自分に、今日の自分に、
自分がどうあれ100点満点をあげられるよ。


それって傲慢なのかなあ。
謙遜が足りなさすぎるかな。
まあ、昔のわたしだったら絶対に
よくても30点ぐらいしかつけなかったしなあ。
こんなこと言ったら、
あの人やこの人やいろんな人に
口を酸っぱくして責められるだろうけどなあ。


でもやっぱり100点を自分にあげたい。


だっていろいろと悩んで
試行錯誤して
とりあえず一生懸命に生きてきているんだもん。
十分に100点満点をあげていいじゃない。
もちろん足りないところは山ほどあるし
直したいところもありすぎるほどある。
でもだからといって
その分を引き算する必要はないと思う。


あれができないからマイナス10点。
これができないからマイナス15点。
……じゃなくて、
がんばって生きてるわたしは
いつでもどんなときでも十分に100点満点なのです。

日々是好日

切り絵《日日是好日》
✴︎クリックすると拡大表示されます



以前、アメブロに「いい1日にするコツ?」という記事をかきました。
簡単に言うと
朝起きぬけの寝ぼけた頭で
「今日はいい1日になる」というというだけ。
これを続けてみれば
心がきっと軽くなるというものです。


これを始めたのが今年の5月1日。
それから毎日ずっと続けています。
2週間どころか4ヶ月も続いているわけです。


そして気になる結果はというと。
わたしの場合、すこぶる効いています。
すごくいいの。
毎日あまり落ち込むこともなく
不安になることも少なく
過ごせるようになっています。


で、「いい1日」ってどういうことだろうって
Twitterでつぶやいたら
友だちが「日日是好日」という言葉を教えてくれました。


おお、まさしくこれじゃないか。
何も特別なことがなくても
頭痛や腹痛でも
仕事がうまくいかなくても
心配事があっても
それでも「今日はいい1日」なのです。
「いい」っていうのは「悪い」の反対語ではなくて
なんだろうね、
言葉にはしにくいのですが、
「無事に過ごせた」ということかな。
いやいや「無事に」さえも余計ですね。
「今日も人生の1日を過ごす」という意味かもしれません。


とてもいい言葉なので
わたしも切ってみることにしました。


「日日是好日」は
「ひび これ こうじつ」と読むことが多いと思いますが
禅的には
「にちにち これ こうにち」なのだそうです。
また字数が多い方がデザインしやすいので
こちらを採用して文字入り切り絵にしました。

ひとつでいい

切り絵《すきっ》




ときどき仏教系や禅っぽいエッセイを読みます。
最近はあまり手にしなくなりましたが、
「ブラック杉谷」だったころには
よく読んでいました。


久しぶりにそのうちの一冊を手にとってみました。
よりよく生きるための100のコツ……みたいなやつ。
ずらりと「こうしましょう」的なアドバイスが載っています。


それぞれはものすごく正当なアドバイスなんです。
たとえば
「朝起きたらちょっとだけでも掃除をしよう」
「今日できることは今日しよう」
「人にはやさしくする」
「ひとつのことをコツコツ続ける」
「人に嫉妬しない」
「思いついたら実行する」
……などです。


でもね、自分でびっくりしたんだけれど、
当たり前の、正当な、素直なアドバイスでも
それが100個もずらりと並んでいると
ものすごい圧迫感があるんですよ。
これまでそう思ったことはないけれど
初めてそんなふうに自分のなかの抵抗を感じました。


こういうアドバイス(というノウハウというかライフハックというか)は
ある期間にひとつで十分じゃないのかしら。
少なくとも今のわたしには
たくさんの「〜しよう」「〜すべき」は不要だし
むしろお互いに邪魔しあって逆効果になる気がします。


この100個のなかから
いちばん今の自分に必要な項目をひとつだけとりだして
(あるいは、えいって当てずっぽうに選んで)
それを自分の暮らしのなかで
ゆっくりと噛みしめていくのがいいと思うのです。


たとえば「今できることをする」という項目だったら
これをやるのはとてもたいへんですよね。
「今できることをする」を
自分なりに因数分解して
ゆっくり本当に自分のなかに落とし込んでいく。


そうしていかないと、
やっつけでやっていっても
自分の中には何も残らないのではないかしら。


そんなことをこっそり思ったのでした。